龍馬伝 最終回「龍の魂」
近江屋に龍馬を尋ねてやってきた弥太郎。
おまえと会うのはこれが最後だ。
ミニエー銃9000丁を売って5245両儲けた。
土佐商会とは関わりない、俺が設けた金だ。
けれど、この金はいらん。
わしは戦が起こると見越して9000丁仕入れた。
お前が言う大政奉還はありえないと。
けれど、もしかしたらおまえはやってしまうかもしれんと、わしは弱気になった。
お前を信じてしまった。
こんな悔しいことはあるか。
お前に儲けさせてもらった金なら、欲しくない。
これはお前の金じゃ。お前にやる。
わしは自信がある。
坂本龍馬が足元にも及ばん男になってみせる。
「お前はそんなにわしのことが嫌いか」
ああ、だいっ嫌いじゃ。この世の誰よりも。
「けれどわしはお前のことを嫌ったことはいっぺんもない。岩崎弥太郎という男は土佐におるころから、死ぬまで友だちだと思って・・・」
そういう所が嫌いなんだ。
自分の思うまんま生きて、それがどうゆうわけか、ことごとくうまくいって。
お前と一緒にいたら、わしは自分がなんにもできない、小さい、つまらん男に思えた。
けれど龍馬、人がみんな、自分のように新しい世の中を望んでいると思ったら大間違いだ。
口ではどう言っていても、いざ扉が開いたら、とまどい、怖気ずくものは山のようにおる。
恨みや、妬みや恐れ、保身。
そのうち怒りの矛先はお前に向くだろう。
わしにはわかる。
眩しすぎる日の光は、無性に腹が立つ、ということを知っているからの。
「お前の言うとおりかもしれん。
わしは気がつかんうちに人を傷つけ、人に恨みを買っているかもしれん。
世の人は われを何とも言わば言え 我がなすことは われのみぞ知る
わしは自分にできることをしただけだ。お前もそうだ。お前の思うように、好きに、好きに生きたらいい。
わしのことなど相手にせんでいい。
お前はこの金で世の中と繋がっているのだ。この金で日本一の会社を作って、日本人みんなを幸せにしなければいけない。それはわしには到底できない。
それは岩崎弥太郎だけができる大仕事だ。
わしにやるべきことがあったように、お前にも必ずやるべきことがあるはずじゃ。
たっしゃでのう。たっしゃでのう、弥太郎。」
呆然と帰路に着く弥太郎。
どう言うわけか、頭の中で「たっしゃでのう」という言葉が繰り返し、繰り返し響いた。
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と、いうことでついに最終回を迎えました。
龍馬が暗殺されるまで。そして、弥太郎が死を迎えるまで。
政権のトップに立つ人物「○○○」に誰の名を入れるかで色めき立つ薩摩、長州などの諸藩。
色んな思惑が渦巻く中、後藤が土佐に帰った後の土佐藩も、必ずしも龍馬に好意的ではない。
雇い主である幕府がなくなってしまった後、行き場をなくしつつある新選組。
幕臣たちで組織された見廻組は龍馬を元凶とみなして付け狙い、居場所を探して弥太郎を訪ねてきます。
「わしは龍馬とは関わらんようにしている。あんな奴のことなどしらん。・・・龍馬をどうするつもりだ。
お前ら誰だ。幕府の者か。新選組・・・見廻組か。薩摩かい、長州かい。いろは丸で負けた紀州。それとも長崎奉行所かい。」
「たくさんおるの、坂本を恨んでいるものは」
「あんな奴はの、殺されて当然じゃ。けどの、龍馬は殺されることはしていない。あいつは日本のためを考えているだけだ。出すぎたことをしたかもしれないが、龍馬には悪気はない。いかんぞ、龍馬を殺したらいかん。
殺さんとってくれ、殺さんとってくれ、殺さんとってくれ、金ならある。お前らにやるから。」
「坂本龍馬は、徳川に忠義を尽くす我ら侍を愚弄した。我らの全てを無にしたんだ。」
どこまでも武士の発想とは無縁の弥太郎と、武士であることに誇りを持っている今井。
初のイトコ競演、見応えがありました。
新政府に入れる人物を挙げながら、武市を初めとする亡き友と語る龍馬。
ここはさすがに1年の重みが感じられ、じんとしました。
○○○に誰の名を入れるつもりなのか。もし徳川慶喜であったなら・・・龍馬の真意を確かめに近江屋を訪れる中岡。そうであるなら、斬るつもりです。
新政府の重役名簿の中に松平春嶽など徳川側の人物を入れる龍馬をとがめます。
「いかん。徳川を新政府に入れてはいかん。」
「これは日本人による、日本のための新政府だ。」
「龍馬。人の気持ちはそれほど割り切れるものじゃない。」
「それは弥太郎にも言われた。」
「○○○には誰の名前が入る。」
「それは、みんなじゃ。」
上士も下士もない。商人でも百姓でも。志があれば誰でも入れる。志のあるものを皆が選んで、名簿に書かれた人々が支える。
「わしを斬る前に、よく考えてくれ。」
「お前の名前がない。」
「わしは役人になる全く気はない。」
海援隊と共に世界を回る夢を語る龍馬。
この日本に、世界中から知恵と技術と技術が集まったら、この国は夢と望みにあふれた国になる。
地球儀は、勝が持っていたものでしょうか。
「望み・・・」
「船があったら蝦夷にも行ける。わしはこの蝦夷を開拓して一から新しい村を作ろうと思っている。」
「それも面白そうじゃの。」
「船があればなんでもできる。」
「海か・・・」
なんとなく説得される中岡。
そこへ訪れる何者かが。
「だけれども、龍馬、誰にも言わないでくれ・・・わしは泳げん。」
「それは誰にも言えんのう」
押し入ってくる者たち。
「ほたえな」
「いかんっ」
駆けつける途中で近江屋から戻ってくる見廻組に遭遇した弥太郎は、全てが終わったことを知ります。
「返してくれ、俺の龍馬を返してくれ、大事な人なんじゃ。」
雨の中、地べたを這いずり回って慟哭する弥太郎。
土佐の海辺で龍馬を想うお龍。
「うみ。」
時は明治。
龍馬はのう、能天気で、自分勝手で、人たらしで、おなごに好かれて、あれほど腹の立つ男はおらんかった。
わしはこの世で、あいつが一番嫌いだった。
「あんな男は、あんな龍は、どこにもおらんがぜよ。」
約1年。
「龍馬伝」であると同時に、弥太郎伝でもあったこのドラマ。
弥太郎のセリフを中心に書き出してみました。
いい最終回だったのではないでしょうか。史実とは違う、とかいうのは、置いといて。(汗)
龍馬が夢を語り、中岡を説得するシーンでは「人たらしさ」が全開でした。
志半ばで倒れた人々への思いも込められていましたし。こういうシーンはロングスパンのドラマならではの醍醐味ですね。
中岡と新選組の殺陣は迫力があり、近藤の野良犬のような目が印象的でした。
暗殺シーンも最大の山場として迫力がありました。
中岡をもう少し前から登場させ、龍馬との絡みを描いていれば、もっと感慨深かったかもしれない、とは思いましたけど。
そして最後の最後に「大事な人なんじゃ」と泣き叫ぶ弥太郎。
愛憎を超えた、深い思い。龍馬をなくした大きな喪失感には胸打たれました。
大久保はともかく、木戸と西郷が完全に「悪役」になっていましたが、「龍馬暗殺」がメインなので仕方がないかな。
沢村の最期が描かれなかったのも、仕方がないですね。あそこで終わらなきゃね。
ラスト、背中を見せて船に立つ龍馬、その沈んだ色彩も含めて印象的でした。
初めて咸臨丸に乗船した時の海は、あれほどきらきらしていたのに。
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簡単に総括します。終わったばかりなので、思ったことを羅列する程度ですが。
咸臨丸に乗船した時の子供のような龍馬を捉えた躍動感溢れるシーン。
勝が龍馬に世界の広さを教授するシーン。
武市が以蔵に暗殺を示唆するシーン。
勝の言葉に素直に耳を傾ける以蔵、その後の逡巡、そしてついに囚われるシーン。
後藤のがんばり・・・などなど。
長崎編になってからは、長次郎の悲劇などはありましたが、あまり印象に残るシーンがなかったかもしれない。
お元関係のエピソードは印象に残っていますが、それがいいんだか悪いんだか。(汗)
いいシーンも多かったのですが、いかんせん、それらのシーンが点でしかなかったような気がします。
点と点を繋ぐ線の部分に無理な設定や無駄なエピソードが多すぎたのではないでしょうか。
龍馬を常に事件の目撃者にしたことも含めて。
歴史の変革期の空気感が伝わらなかったこともあるし、肝心の龍馬に、歴史を動かすダイナミズムを感じられなかったんですね・・・最後の数話を除いて。(ストーリー構成としてです。)
龍馬が中心の時はスケールの小さい話が多かったような気がしました。
何より、脚本から坂本龍馬を描くことの高揚感が感じられなかったんです。
歴史をドラマにする、その紡ぎ方がすごく偏ってたようにも感じました。
史実と虚構の間をもう少しうまく繋いで、ある意味、騙して欲しかったです。
弥太郎は、その役目をまっとうしたと思います。
まあ、色々と突っ込んできましたが、久しぶりに完走した大河ドラマでした。
それだけの総合力はあったドラマだったと思います。
キャストの皆さん、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。
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