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2013年4月13日 (土)

2013年2月の読書 その2

感想を書くのが難しい本を選んでしまいました(_ _;;
難しい時は極端に短いか、無駄に長いのですが・・・今回は長いです!ほんとに、無駄に。
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※読書順、敬称略です。緑色のタイトルが新読、茶色のタイトルが再読です。

○新読   

仲代達矢が語る日本映画黄金時代 著:春日 太一(PHP新書)
雷蔵好み 著:村松 友視(集英社文庫)

○再読 

市川雷蔵かげろうの死 著:田山 力哉(現代教養文庫)※絶版
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「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」

役者になって60年。80歳を迎える仲代達矢がこれまでの作品を振り返る。日本映画は昭和20年代から30年代は黄金時代。ちょうどその頃、仲代達矢はデビューした。俳優座養成所でのこと、小林正樹、岡本喜八、黒澤明ら名監督との出会い、高峰秀子、原節子、勝新太郎といった有名俳優との仕事などを回想する。映画会社の専属にならない、当時としては珍しいフリーの立場を貫いた。一年の半分を映画、もう半分を舞台ときっちりわけて仕事をしてきた俳優だからこそ、日本映画の盛衰を冷静に見ていた。現在の映画界についても鋭く語る。 (「BOOK」データベースより)

聞き書き、という形の自伝です。
単行本ではなくて新書で発刊したのが、仲代氏の見識かと。

普通、「自伝」というのは、あまり本音を語らないものです。
それは本当の事を語ると、色々支障が出るし、場合によっては品位を下げることもあるから。
でも、褒め言葉で埋めつくされた自伝なんて面白くない。
批判ばかり綴られた自伝(日記ではありません)は、文章次第なんですが、コンプレックスの塊を投げつけられたようで後味が悪い。

資料としても価値があるエピに、察して欲しい、という箇所を見つけれるようなヒントを書き手(聞き手)の語り口で散らばせるのが、面白い自伝だと思っています。

この著書は、そのへんの塩梅が良いです。
石原裕次郎に代表されるメジャーへのコンプレックスと、舞台をルーツとする持つ演技者としてのプライド。尊敬する監督と、好きな監督。価値ある作品と好きな作品。
演技を巡る三國連太郎との諍い、酔っ払っての萬屋錦之助との取っ組み合いなど、読者の興味を引くにことかかない銀幕の裏側も、相手が傷つかない程度に書かれています。

自分を客観視しつつも、泥臭い執念が漂う、格調の高い”聞き書き”自伝でした。

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「雷蔵好み」

日本映画全盛期の一九五〇年代から六〇年代、稀代の役者と称され一世を風靡した市川雷蔵。六九年三七歳という若さで肝臓ガンのためにこの世を去るまで、「眠狂四郎」「若親分」「陸軍中野学校」などのシリーズや、三島由紀夫原作の「金閣寺」を映画化した「炎上」など数多くの文芸作品にも出演した。今なおファンに惜しまれ、高い評価を得ている。その雷蔵の生き方に激しく迫る評伝小説。  (「BOOK」データベースより)

市川雷蔵が亡くなったのは1969年。
本作が上梓されたのが2003年、おおよそ30年余り経っています。

市川雷蔵、享年37才。この若くして亡くなった伝説の大スターについては、本書が出版されるまでに、自伝を含め、様々な逸話が語られています。
ですので、目新しいエピソードはあまりありません。
引用も多いです。雷蔵がファンクラブ用に書いた文は興味深く読みましたが、そこそこなファンなら目にしているものでしょう。

しかし、新しい解釈はできる。
中でも、雷蔵が従来言われているほど、大映入社時からスター扱いではなかったことを強調しているのが、印象に残りました。これについては後記します。

知的ブルジョワかつ複雑な家庭で育った著者が、同じく複雑な生い立ちだった雷蔵に対する共鳴が綴られた、ラブレターのような作品・・・いや、ラブレターそのものです。

エッセイスト、小説家として名をなした氏の心さえ捉えたということ自体が、市川雷蔵のカリスマ性の証明でしょう。

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「市川雷蔵かげろうの死」

黒の着流し、素足に雪駄、腰の刀は無双正宗、得意の技は円月殺法。ニヒルで孤独の剣士・眠狂四郎をミズミズしく演じた市川雷蔵は、若く美しい映像だけをファンの胸に焼きつけ、37歳ではかなくもこの世を去った。これは、この薄幸の美男雷蔵の実人生を調べ上げ、心に残る虚像とつき合わせて、もう一つの雷蔵像を結晶させた、実名小説である。表題作ほか「田宮二郎いのち純情の死」「闇に堕ちた監督・中平康」を収録。 (「BOOK」データベースより)

上記「雷蔵好み」を読んで、何年かぶりで再読しました。
1988年発行。絶版です。ですので、詳しく書きます。

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著者、田山力哉は1997年、享年66才。映画評論家。
著書のほとんどが絶版になっているため、今は知らない人が多いと思います。

今はなき社会思想社から発行された、氏の従兄弟で脚本家の猪俣勝人の共著「世界映画俳優全史」日本映画俳優全史」「「日本映画作家全史」「世界映画作家全史」シリーズは、私にとって映画の道しるべとなりました。
映画創生期から1960年代にかけてのデータは、今のところですが、恐らくwikiより豊富だと思います。

それはさておき。

収められた実名小説のうち、市川雷蔵、田宮二郎はともかく、三作目「闇に落ちた監督」の主人公、中平康を知っている人はあまりいないんじゃないでしょうか。

石原裕次郎のデビュー第二作として有名な「狂った果実」を監督した人です。
その生涯はwikiにかなり詳しく載っています。同期の監督たち、例えば鈴木清順や増村保造よりはるかに詳しいです。映画史における彼の価値を守りたいと思っている人がいるのでしょう。

「闇に落ちた監督」については、来月の読書の中で軽く触れることにします。
今は「市川雷蔵かげろうの死」と「田宮二郎いのち純情の死」についての感想を書いておきます。

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「雷蔵好み」に概視感を持ったのは、本作の第一作目「「市川雷蔵かげろうの死」を読んでいたためです。

同じエピソードがいくつも書かれています。
伝記及び歴史小説ではよくあることで、エピソードの組み立て方と視線をどこに持っていくかで違いが出るわけです。
「雷蔵好み」は常に雷蔵ファンの視線で書かれているのですが、本作は時には雷蔵、時には取り巻き、時には同期でライバルだった勝新太郎との視線で書かれています。

実は「雷蔵好み」を評伝”小説”と呼ぶことに違和感を持ってます。
ラブレターであっても、小説ではないと思う。

本作は、あとがきに書かれていますが、関係者へのインタビューを元に創り上げた小説です。

あまりによくてきているので、雷蔵に関する都市伝説のルーツになっているかもしれません。

そのインタビューも、語り手が事実のみを語っているかどうか、微妙なこともあります。

例えば、勝新太郎。

デビュー当時の思い出として、雷蔵本人の印象ではなく、雷蔵が大映でどういうスタンスだったかを自伝「俺・勝新太郎」に書いています。(恐らく聞き書き。)

ロケに行く時、雷蔵には会社が用意したタクシー、自分は大部屋と同じくバス。
それが悔しくて、自腹を切ってタクシーで行ったこと。

有名なエピソードで、本作「かげろうの死」にも収録されています。

ここで注目したいのは自伝「俺・勝新太郎」の発行が本作「かげろうの死」より4年後の1992年、ということです。

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以下、推測です。

恐らく、自伝として発行する以前に、雷蔵について聞かれた時に必ず話していたエピソードだったと思われます。
「雷蔵が入社当時から大スター扱いだった」説は、大スター、勝新太郎の思い出話がきっかけで広く流布したのかも知れません。

雷蔵は本当に将来を約束された大スターだったのかどうか。
スター予備軍だったのは間違いないでしょう。
それを勝が「将来を約束された」とまで持ち上げたのは、同年代、同時期に入社したのに歴然とした待遇差を、それも才能ではなく、出自でつけられたためかもしれません。

※出自とは、雷蔵が歌舞伎役者の出身で、勝が長唄三味線方、すなわち下座出身であることです。
勝の父はのちに人間国宝になった方ですが、そういう芸術的な評価とは別に、昔は芝居小屋そのまま、板の上と下で、歴然とした差があったようです。

勝はさぞ悔しかったでしょう。その悔しさをバネにしたわけですが、屈辱感はずっとつきまとった。しかし、雷蔵が先にいなくなったことで、その屈辱感をすっきりと晴らすことはできなくなってしまった。どころか、雷蔵の思い出を聞かれるたびに、会社から受けた屈辱を思い出さねばならないことになってしまったのです。

その鬱屈を雷蔵の扱いを持ち上げることで何とか折り合いをつけていたのではないのかな、と。

二人が入社した当時の関係者も、あえて打ち消す必要を感じなかったのかもしれません。勝と雷蔵、二人のスター性を高める”思い出”なのだから。

推測は以上です。

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重複しますが、この勝新太郎が語るエピソードは本作、そして「雷蔵好み」にも、ほとんどそのまま使われています。

「雷蔵好み」が冷静に、あくまで勝新太郎の証言として扱っているのに比べると、田山氏は勝新目線で書いています。

勝新の口調でエネルギッシュに書かれた「俺・勝新太郎」は、強烈なエピソードが多すぎて(^^;;)、雷蔵の話は雷蔵のファンでなければそれほど記憶に残らないと思います。
しかし、その思い出そのままを、かげろうのごとき主役、雷蔵を引き立てるに脇役として置いた本作は、コントラストの強烈さで記憶に残りました。

田山氏は「勝新節」の中に潜む、雷蔵のカリスマ性に勝てないと思った、若き日の勝の屈折と繊細さに共感したのかもしれません。

そして主役である雷蔵は、生い立ちの屈折、歌舞伎での敗北、大映を支える使命感、病弱な体を抱えつつのハードスケジュール。そうして出演したい作品を選べる余裕もないまま、命燃え尽きてしまった・・・この悲壮感は雷蔵のカリスマ性を決定づける要素なので、「雷蔵好み」も詳細に追っています。というか、それのみを追い続けています。
ファンなのだから、当然でしょう。

田山氏は実母、養父母、そして勝・・・周囲の「負」を描くことでスター、雷蔵を輝かせる一方、周囲の輪郭を生き生きと描くことで雷蔵の「負」、すなわち、はかなさを際だたせています

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田山氏の評伝はは負を背負った人物をひたすら追いつつも、決して彼らの悲しみに溺れません。
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続いての短編、「田宮二郎いのち純情の死」。

再び勝新太郎が登場しますが、もう、雷蔵にジェラシーを感じる白塗りの若手俳優ではありません。雷蔵に変わって大映を背負っている大スターです。

鼻持ちならない自信家として悪評高い田宮二郎が、唯一無条件にひれ伏すのが勝でした。
「悪名」シリーズそのままの関係だったのです。初めは映画のため、ということもあったでしょうが、その関係はシリーズが終わっても続きました。

勝は、自分のなにげない言葉、行動のひとつひとつに、田宮が動揺し、嘆き悲しむことを知らない。
田宮にとっては、謂わば神または悪魔のごとき存在として描かれています。
でも、客観的に見て、「かげろうの死」で描かれた駆け出し時代の勝新も、大スターになった勝新も、勝新太郎であることには、変わりはないのです。

「かげろうの死」と本編は”勝新太郎”というサブキャラを生かした連作とも言えるかもしれません。

多面的に主人公の負を描いた「かげろうの死」とは違い、本作は、自らを追い詰め、ついには自死に至る主人公”田宮二郎”の内なる負のみを追っていきます。

一番にならなければ我慢できないプライドの高さを満足させるためには、努力を厭わない。
その真摯な努力が必ずしも実るとは限らないのが世の常なのに、そのたびに深く深く傷ついてしまう。
男前でクールで傲慢で、弱くて痛ましくて、悲しい・・・誇り高い男。

田宮二郎という俳優を知らなくても、充分に面白く読めると思います。

もし、彼がいかに才能に恵まれた俳優だったかを知っていたなら。
スクリーン上の彼と小説の”田宮二郎”とのギャップの中に、読み手自身の深い闇を見てしまうかもしれない。

・・・本は絶版ですけどね(汗)。

ちなみに、未だに週刊誌ネタになる「M資金」なる存在を初めて知ったのが、この作品でした。

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著者による本作のあとがきの一部をそのまま写します。

「昭和五十五年晩秋の夕暮れ、東京の池上本門寺の一隅に私はひとり座り、「太田家之墓」と刻まれている墓石と向かい合っていた。これは一世を風靡した二枚目俳優・市川雷蔵の墓である。何の変哲もない小さな墓で、周囲には人気もない。

<中略>

華やかなスターの境遇を生きた雷蔵が、今はひっそりとこんなわびしい墓石の中で眠っているのかと思うと、人生というものの虚しさに感慨を覚えずにはいられなかった。三十七で若い命を散らした彼の人生は、果たしてどこへ消えてしまったのか。

本書にはいずれもまだこれからという人生の時期に志し半ばにして死んでいった映画人たちについての文章が収められている。

<中略>

生前の彼らと親交のあった数多くの人たちを取材して歩き、また彼らのゆかりの地などを訪ね歩いているうちに、彼らへの他人とは思えぬ愛着が生じ、私なりの人間像が創りあげられていった。事実の諸断片の統合が私自身の中で生き始め、それはもう私のイメージを通したフィクションとも言えるものになってきた。これらの作品が”小説”として扱われたのはそのためである。」

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