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2012年3月22日 (木)

2012年2月の読書

春の日差しと、温度の落差で、真冬より寒く感じられる今日この頃。

遅くなりましたが、2月の読書です。

ポワロのTVシリーズを観て、クリスティーの作品を再読したりしていたので、あまり進みませんでした。
3月はミス・マープルシリーズが放映されるので、またまた停滞するだろうなぁ。

※読書順、敬称略です。

○読書<再読> 

鴎外 闘う家長 著:山崎正和(新潮文庫)
父親としての森鴎外 著:森 於菟(ちくま文庫)
鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録 著:森 類(ちくま文庫)

森鴎外とは。

本名、森林太郎。夏目漱石と並ぶ文豪と称される。(wikipediaより)

森鴎外の作品は「山椒太夫」「高瀬舟」「阿部一族」「舞姫」「百物語」など、読んだことがあります。
作品よりむしろ鴎外その人に興味を覚えて購読した作品です。

ドイツ語を自由に操り、近代日本文学をリード、文壇で重きをなす一方で、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長まで勤め上げた、というだけでも今では信じがたい存在であるとともに、親族のほとんどが何らかの形で文学に関わった稀有な一族の長でもあります。

文壇史や12月に読んだ「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」(坪内 祐三)、1月の「一族再会」(江藤淳)などの流れで、この、明治・大正期の代表的作家の評伝、記録を再読してみました。

いずれも今のところ絶版になっているようです。

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「鴎外 闘う家長」

挫折しないことの不安におびえながら、国家と共に至福の青春を生きてしまった森鴎外が、一切の社会的名声を拒否して死に至る凄絶な生涯。外的な役割も帰属の場所も信じられず、さりとて「子」の立場にも安んじることのなかった彼が、自己の内面の空虚に耐えた秘密とは何だったのか?
作家の生活と作品のあいだを照射して、近代知識人論に画期的視座を提起する記念碑的評論。(裏書より)

私生活の部分は、主に鴎外の妹で星新一の祖母である小金井喜美子の著作及び長男、於菟が整理した資料及び於菟自身が見た鴎外像を参考にしているようです。

鴎外自身が実際どういう人だったのかはわかりませんが、著者の構築した鴎外像は非常に明確で、思わずタジタジとなるほど粘っこく力強いパワーで描かれています。

著者の構築した鴎外とは。

まず、鴎外の15年後に官費で英国へ留学し、西洋文化と心理的格闘の末、改めて日本独特の「近代文学」に向かった漱石、私費で留学し、漱石とは対照的に西洋社会に快活に適合した生活を送った上で、西洋文化に抹殺されようとしている江戸文化を血肉とした荷風、そして鴎外より少し年上の年代、すなわち幕末に青春をおくり、脱藩という形で故郷(くに)を捨てた人々と比較しています。

思えば、日本が近代国家として形成されたあの特殊な二十年に、みずからの青春を完全に重ねて生きたのが鴎外とであったといえる。(本文より)

大人しい、養子だった父に代わって、幼い時から森家の将来を担うべく期待され、多少の逸脱はあれども、近代文壇には珍しく、家族全てに愛情細やかな父であり続けた人物。

年少の身であえて「家長」の役割を引き受けようとした「天性の庇護者」(解説より)

しかし、その愛は。あたえ続けるのみ、という「父性的」なもので、相手からあたえられる愛を無意識のうちに拒んでしまうようなもの。「父」ならともかく、こういう夫を持った妻は、いかなる心境になるか。
愛を、影響と言い換えてもいいかもしれません。

「多くの師には会ったが、一人の主には遭はなかつたのである。」(本作中で引用されている「なかじきり」の一部分)

「なんでもないことが楽しいように」生きることであり、「日の要求を義務として。それを果たして行く」生き方の徹底
~中略~
彼はこういう生き方を理想とはしても、現実にはそれに満足し得ない自分を嘆いていた。永遠の夢のなかに「青い鳥」を求めて、それが見つからないことにいらだっている自分を嘆いていた。

~中略~
しかし、振り返って見て感慨深いことは、結局、鴎外はこの「青い鳥」なしに、生涯の終わりの日々を素手のまま生き抜いたのであった。(本文より)

父として、夫として、人としての苦悩を赤裸々に反映した作品を残して。

遺言書は「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」

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「父親としての森鴎外」

森於菟は鴎外の長男であり、母は鴎外と離別した先妻である。於菟は、祖母によって育てられ、のち日本の解剖学の権威となる。その於菟が綴った鴎外一家の歴史と真実。一家の柱としての鴎外と父としての鴎外と人間としての鴎外を活写して余すところがない本書は、第一級の資料であると同時に、深く感動をよぶ一個の人間記録である。 (裏書より)

複雑な生い立ちというフィルターを通しての父の姿。

すなわち、母(於菟の祖母)と絶望的なまでに反りの合わない年若く美しい妻、茂子(志け、とも)の間に立って苦慮する鴎外を描いて、また、鴎外に「舞姫」のモデルとなるような女性の存在を明かしたことで有名な著作です。

前妻の子であり、かつ祖母側の人間である於菟もまた、継母にとっては鴎外の愛を奪う存在として敵視されたようです。
そのため、妻の機嫌を損なうことを恐れる鴎外は、広いとは言え同じ屋敷内に住みながら、於菟とはほとんど会わなかったようです。
ですので、於菟が父と密接な時間を過ごしたのは、日清戦争後から小倉のへの単身赴任までの、於菟、数えで六才から九才までの三年半ほどなのですが、だからこそ良き印象が残ったのかもしれません。知的で抑制の利いた文章の中に込められた、父への愛情が惻々と伝わってきます。

父の心には学問に対する愛情がその大部分を占めている。女の真情を解せぬではなかろうが、己の全部を与えるべく女はあまりにも小さい。女への父の愛情は従って人形に対するようなものになる。(本文より)

これが、於菟から見た両親の関係です。かと言って、茂子を嫌っていたわけではないようです。というより、嫌うとか、憎むとか、そういう積極的な感情が動かなかったのかもしれません。そのような激しい感情の動きを自分の中に起こすことを厭う人柄のように感じました。

鴎外の死後は、仲睦まじく、というわけにはいかないまでも、まだ幼い子供を抱えた継母が苦労なく生きていけるように権利を守って配慮したそうです。

とは言え、於菟の書いた一連の文章が、あまり愛想のいい女性ではなかった茂子の、悪妻説に拍車をかけたことは確かでしょう。

於菟の生母と異父妹の、幸せだったとは決して言えない短い生涯も、淡々と書かれています。
鴎外と生母、登志子の結婚はお互いにとって不幸としか言えないものでした。しかし、その結果生まれたのが自分であるということを、事実は事実として、科学者の目で捉えていたのかな、と推測したりしました。

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「鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録」

鴎外の子供たち―於莵、茉莉、杏奴、類。みなそれぞれ、強い個性を持ち、父親を愛し愛されていた。しかし兄姉間の仲は、そううまくはいかなかった。妻志け、子供たちを取り巻く不協和音。明治の文豪のプライヴェートな部分を末子の目が捉えた貴重な書。(裏書より)

於菟の一連の禁欲的な著作とは対照的に、奔放な作品です。

「役所勤めを持ち、創作活動も続ける鴎外が、一人一人の子供にこうもまめやかに惜しみなく愛を以て接し続けたという事実に、驚きを深くせざるを得ない。子供たちは各自、父親の愛を公平と思い、茉莉はなおその上、万全の平安とも言えない家の中が鴎外によって平穏に保たれているのを見て、キリストにも似た偉き愛とを感じたのである。」(解説より)

於莵ですら、鴎外に愛さていた、という記憶を持っているのですから、本当に驚くべきことです。

著者、森類は、鴎外の残した遺産で、戦争で何もかもがなくなるまで、三十すぎまで働くことなく生き、四十を過ぎて独立して書店を開業するも、十年後、鴎外住居後に文京区によって鴎外記念図書館が建てられることにともなって閉店、その後は不動産管理を主とする悠々自適の生活を送り、八十才で亡くなりました。

経歴だけ見ると、鴎外の遺産を一番享受した幸せな人だと思うのですが、その割には劣等感の塊で、他人を素直に受け入れられないひねた感性の持ち主。

人とはちょっと違う感性の持ち主だからこそ書けたのでしょう。
普通の人ならここまで赤裸々に、かつ文学的に一家のことは書けません。この作品を書いたがために、仲の良かった姉たちと絶縁状態になったそうで、その顛末も書かれています。

劣等感の由来のひとつは、偉大すぎる父を持ったことはもちろんですが、東大の医学部を出て教授となり、子供たちも皆優等生、という出来のいい異母兄、於莵、父に長く溺愛され、お嬢様の風格を持った茉莉、機敏で人間的魅力に恵まれた杏奴(と、思っている)と自分を比べてのことでしょう。

落第生で、画家としても身を立てれなかった、ま、ぶっちゃけ言って、落ちこぼれで甘えん坊の末っ子です。
落第生になってしまったのは、働かなくてもいい、という境遇のためかもしれません。

自分を庇護してくれた次姉、杏奴を愛し、結婚すると水臭くなったと恨む。
父母の関係を冷徹に描かれたお返しなのか、父は兄には興味を持っていなかった、と、於莵の存在をバッサリ斬りつつ、父を亡くした自分たちを置いて家を出ていったことを、父に代わる家長の役目を降りたと言って恨むかと思えば、戦後、ほとんど接点がなかった異母弟の世話を嫌がらずに見てくれる兄に、父の面影を見て、懐かしむ。
その時々の感情を素直に書いたと言えば、そうなのですが、相手の事情などおかまいなく、実に自由にすねたり甘えたり。正直言って、ちょっといらっとしたりしました。

しかし、偉大な夫を亡くし、悪妻という評判にさらされて・・・性格的なこともあって血縁的にも精神的に孤立無縁となった母と、美しき姉たちとともにひっそりと日陰で生きる著者の若き日々は、風景描写にこだわる文体と相余って、まるで幻想小説のような味わいがありました。
本当とは思えない生活です。いや、生活しているとも言えないようなあやふやな日々。

作品から漂う毒気に当てられて、文学には有名な茉莉、杏奴、そして叔母にあたる貴美子の作品を読む気力がなくなったことを覚えています。

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なお、父親としての鴎外像を追う、という主旨からはそれますが、この類の作品と、貴美子の夫で、鴎外の友人、東大教授小金井良精の孫である星新一の「祖父・小金井良精の記」を併せて読むと、鴎外と「舞姫」のモデルとなった女性の顛末、そして於菟の若き日の煩悶がより立体的に見えてきます。

おそるべし、森一族。

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